頑張っているのに、なぜか満たされない。そんな私が気づき始めたこと

ヨガ

「頑張ってるね」

そう言われても、 素直に、 「そうかな」 とは思えない。

むしろ、

「まだ足りていないんじゃないか」

「みんなもっと頑張っているんじゃないか」 そんなふうに感じてしまう。

だから、

「わたしは、頑張ってる」 と認めることが、なぜか難しい。

もっとできたはず。

まだ頑張れるはず。

そんな気持ちが、いつもどこかにある。


私は昔から、ずっとそう感じてきました。

そして最近、 そんな生き方に少し苦しさを感じるようになりました。

この文章は、こんな人に向けて書いています

「頑張りすぎ」と言われてもピンとこず、

「みんなもっと頑張っている」

「まだ足りない」と

自分の疲れや辛さを飲み込んでしまう人へ。

これを読むことで、どうなるか

「私も結構頑張ってきたのかもしれない」と

自分を見る目が少し優しくなる。

そして、自分の辛さを誰かと比べるのではなく

「私はどう感じている?」と

自分の心や体にも目を向けてみようと思えるようになるかもしれません。

いつも誰かと比べてしまう

周りを見れば、 仕事も家事もこなしながら

楽しそうに過ごしている人。

忙しい中でも、前向きに頑張っている人。

もっと大変そうな人。

そんな人たちが目に入るたびに、

「私なんて、まだまだ」

「このくらいで疲れたなんて言えない」 と思ってしまう。

だから、 「頑張ってるね」 と言われても

素直に受け取ることができない。

上を見れば、もっと頑張っている人がいる。

もっとできる人がいる。

そうやって、いつも誰かと比べながら

自分の頑張りには厳しくなっていたのかもしれません。


でも、 誰かが大変なことと

私が辛いことは、

本当は比べなくてもいいのだと思います。

気づけば、いつも誰かを基準にして

自分の気持ちや感覚は後回しになっていた。

だから、自分がどれだけ頑張っているのかさえ

分からなくなっていたのかもしれません。

頑張ることが当たり前になっていた

振り返ってみると、 私は昔から、周りの空気を気にしていたように思います。

「気が利くね」

「手がかからないね」

そんな言葉をかけてもらうことがよくありました。

でも本当は、その言葉に応え続けるために

ずっと気を張っていたのかもしれません。

反発したい気持ちもありました。

態度に出ていたこともあったかもしれない。

正直、よく覚えていません。

でも、 「本当は苦しかった」 という感覚だけは

どこかに残っているような気がします。

気づけば、 周りを見ながら、 迷惑をかけないように、

期待に応えられるように。

そんなふうに、自分なりに頑張ることが増えていたのかもしれません。


そう考えると、 頑張ることは特別なことではなく

いつの間にか当たり前になっていたのかもしれません。

もしそうだとしたら、 頑張っていないからではなく、

頑張ることが当たり前になりすぎて、

自分では気づけなくなっているだけなのかもしれません。

頑張りを認めることは、甘えじゃない

そうやって、いつも誰かと比べながら

自分の頑張りが『当たり前』になっていたから

どれだけ頑張っても満たされることがなかったのかもしれません。

だから私は、『もっと頑張っている人がいる』と思い続けてきました。

でも、その一方で、心のどこかではこう思っていたのかもしれません。

認めたら、そこで止まってしまう気がした。

怠けてしまいそうな気がした。

頑張ることをやめたら、

自分の価値までなくなってしまうような。

そんな怖さがありました。


頭では、

「人と比べなくていい」

「自分は自分」 と思っていても

なぜか周りが気になってしまう。

比べたいわけじゃない。

優劣をつけたいわけでもない。

それなのに、 気づけば、また誰かを基準にしている。

そんなことを、私は何度も繰り返してきました。


だから、 頑張りを認めることは、

甘えることでも、 成長をやめることでもなく、

今まで頑張ってきた自分を、

なかったことにしないということ。

「私も結構頑張ってきたのかもしれない」

そう思えたとき

少しだけ肩の力が抜けることがあります。

「私はどう感じている?」と、聞いたことがなかった

正直に言うと、

「私はどう感じている?」 なんて

これまで一度も自分に聞いたことがありませんでした。

聞かれても、何も出てこない。

そもそも、聞こうと思ったことすらなかった。

そんな私が変わるきっかけになったのは、 ある出会いでした。


身体アプローチを大切にする心理学講師、 SATORU先生との出会いです。

山梨県にあるリトリートセンター

「Human BeING HAKUSHU」で受けたリトリートや

今も受講している講座の中で、 先生はいつも

「心と体はつながっている」

「頭で考えるのではなく、体で感じる」

ということを、大切にされています。

その言葉に触れるたびに、

ずっと頭で考えることばかりしていた自分に、 気づかされました。


今、何をしている?

どんな感情がある?

本当はどうしたい?

そんなふうに、 少しずつ自分に問いかけるようにしています。


すぐに答えが出ないです。

長い間、 周りを見ながら頑張ることが

当たり前になっていたから、

自分の気持ちや体の感覚は後回しになっていたんだと思います。

急に変わるのは難しいし

「頑張るのをやめる!」 なんてことも

私にはできません。

でも、 少し立ち止まって

今の自分はどう感じているんだろう? と見つめてみる。

すると、 自分では当たり前になっていて

気づかなかった頑張りや、

知らないうちに入っていた力

ずっと緊張していたことに気づくことがあります。

そして、 気づくことで、 少し力が抜けたり

「私は今、こんなふうに感じていたんだな」

と思えたりすることもあります。

自分に目を向けることは、

自分を甘やかすことではなく、今の自分を知ること。

そんな時間を、 これからも大切にしたいと思っています。

自分に目を向ける時間をつくる

自分に目を向けることが大切。

そう頭では分かっていても、

忙しい毎日の中で

立ち止まることは意外と難しいものです。

そんなときに出会ったのが、

リストラティブヨガでした。

初めて受けたとき

普段の優しく動くヨガとはまた違う

深い癒しのような感覚がありました。

頭の中が静かになり

体の力が溶けて

重力に任せて地面へ流れていくような…

不思議な心地よさ。

今でもよく覚えています。

リストラティブヨガでは

プロップス(ボルスターやブランケットなどの道具)に体を預け

呼吸と重力に身を委ねながら

積極的に休んでいきます。

何かを頑張る時間ではなく

ただ今の自分を感じる時間。

体がゆるむと

今まで気づかなかった緊張や

「もっとやらなきゃ」

「まだ足りない」

と頑張り続けていた自分にも

少しずつ気づけるようになる。

そんな不思議な感覚がありました。

だから私は、体をゆるめることは

ただ楽になるためではなく、

自分を知るためにも大切な時間なのだと思っています。

7月から

そんな癒しのヨガ

リストラティブヨガのクラスを自宅レッスンで始めます。

「頑張るのをやめましょう」

ではなく、

「今の私はどう感じている?」

そんな問いを大切にしながら、

積極的に休む時間を過ごしていけたら嬉しいです。

リストラティブヨガの詳しい内容はコチラ